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御由緒

西宮のえびす様は、古くは茅渟(ちぬの)海(うみ)と云われた大阪湾の、神戸・和田岬の沖より出現された御神像を、西宮・鳴尾の漁師がお祀りしていましたが、御神託によりそこから西の方、この西宮にお遷し、祭られたのが起源と伝えられております。

この鎮座の年代は明らかではありませんが、戎(えびす)の名は平安時代後期には 文献に度々記載されています。古社廣田神社の浜南宮の内に鎮座したえびす大神は、漁業の神として信仰されていましたが、この西宮は西国街道の宿場町としても開け、市が立ち、やがて市の神、そして商売繁盛の神様として、灘五郷の一つ西宮郷の銘酒と共に、隆盛を極めるようになります。 現在では一月九日、十日、十一日の「十日えびす」には百万人に及ぶ参拝者で賑い、阪神間最大の祭として全国に知られています。特に、十日早暁の大祭終了後の開門神事・走り参りは、福男選びとして大変な熱気につつまれます。 九月二十二日の例祭と翌日の渡御祭、和田岬までの海上渡御、産宮参りも、秋の西宮まつりとして地元の人々の大きな楽しみとなっています。 通称赤門と云われる表大門は、豊臣秀頼公の奉献によるものとされ、桃山建築の遺構を残し、その左右に連なる全長二四七メートルに及ぶ大練塀と共に重要文化財に指定されています。また境内えびすの森は兵庫県指定の天然記念物となっています。